投稿日:2020年6月18日 更新日:2023年7月25日

五月人形

五月人形は何歳まで飾ればいいの?時期や由来、おすすめの処分方法をご紹介

端午の節句(子どもの日)をお祝いするため、毎年飾るご家庭も多い五月人形。五月人形は男の子の赤ちゃんが生まれると、初めて迎える端午の節句に飾り始めることが多いようです。しかし、お子さんが一体何歳になるまで飾るのが適切か、ご存じでしょうか。この記事では、五月人形は何歳から何歳まで飾るべきなのか、昔はいつまで飾っていたのか、飾り終えた五月人形はどう処分すべきなのか、などを具体的にご紹介します。

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五月人形や鎧兜を飾る時期は決まっていない。しいて言えば自立するまで

桃の節句に飾る雛人形は「女の子が結婚するまで飾ると良い」と言われることもありますが、端午の節句(子どもの日)に飾る五月人形や鎧兜については、「〇歳~〇歳の間に飾るべき」といったしきたりはありません。その理由は、五月人形に込められた意味や成り立ちを知っておくと、よくわかります。

端午の節句(子どもの日)に五月人形を飾る意味としては、お子さんの健やかな成長を願うことに加え、「お子さんの身代わりとなり、降りかかる災厄から身を守ること」があります。親御さんとしては、「お子さんに健やかに、安全に育ってほしい」という気持ちに期限はありませんよね。そのため、「〇歳~〇歳まで」といった明確な決まりはないのです。あえて期限を決めるとすれば、「身代わりがいらない=自立している」とし、成人式を迎える年など「お子さんが自立するまで飾る」ととらえると良いのではないでしょうか。

また、五月人形が「身代わり」としての役目を持ったのは、ある中国の故事が由来だと言われています。春秋戦国時代の中国では、とある政治家を供養するために5月5日を祭りの日とし、それが徐々に病気や災厄を避ける行事となりました。その文化が日本に伝わってくる中で、5月5日に飾る五月人形は「身代わり」という役目を持つようになったのです。

この五月人形の成り立ちについては「こどもの日(端午の節句)の歴史は中国から?お祝い方法の意味も解説」の記事でもご紹介しています。気になる人はぜひ読んでみてくださいね。

昔の五月人形は成人の儀式「元服」を行うまで飾られていた

昔の独立の時期は現代よりも早く、男の子は11~16歳の間に行われる「元服」というイベントを経て成人するものとされていました。成人する時期が現代よりも早い分、五月人形も早めに飾られなくなっていたようです。

元服は、奈良時代以降に「成人になったことを示す儀式」として行われてきた行事です。当時の男の子は「総角」(あげまき)という、左右の髪をそれぞれの耳の上で丸く結った髪型をしていましたが、元服を機に髪を頭上で結い、烏帽子(えぼし)や冠を着けるようになります。また、衣服も両脇の下を縫い合わせない「闕腋」(けってき)から、両脇の下を縫い合わせる「縫腋」(ほうえき)に変わり、名前も「浅井猿夜叉丸」「松平竹千代」などの幼名(ようみょう)から、「浅井賢政」「松平次郎三郎元信」などの実名に変わりました。

こうして元服することで、当時の男の子は「一人前の男性」として扱われるようになったのです。そのため、元服の後は「身代わり」となる五月人形は必要無いものとされ、飾らないものと考えられていたようです。現代では元服ほどの大きな儀式はありませんが、成人式や20歳の誕生日が当時の元服に当たると考え、それまで飾っておくのが理想的だといえるでしょう。

役目を終えた五月人形は「供養」で感謝しつつ見送ろう

お子さんが無事自立して役目を終えた五月人形は、供養してもらうのがおすすめです。

五月人形は「身代わり」という意味からも、代々受け継ぐというよりは、1人に1組ずつ用意してあげるのが理想的です。しかしそうすると、兄弟が多い場合は特に広い保管スペースが必要になり、飾らなくなった後もずっと保管しておくのは現実的ではないですよね。

とはいえ、ごみとして処分する・他の人へ寄付をするという方法も「身代わり」という意味を考えると忍びないものです。そこで、これまでの感謝の気持ちも伝えつつ適切にお別れできる「供養」がおすすめの方法といえます。

供養には「五月人形の供養には神社やお寺で行う場合」「日本人形協会に依頼する場合」「自宅で行う場合」の3パターンがあります。それぞれ費用や方法などが異なりますが、詳しい内容については過去記事の「感謝の気持ちを伝えよう!役目を終えた五月人形を供養する方法3選」でご紹介していますので、お人形を手放す際はぜひご検討ください。

五月人形はお子さんの自立まで飾り、最後は丁寧に供養を

五月人形を飾る時期について特に決まりはありませんが、「身代わり」という意味から考えて、成人式や20歳の誕生日など「お子さんが自立した時期」まで飾ってあげられると理想的といえるでしょう。昔は男の子が一人前とみなされる儀式である「元服」を境に、五月人形は飾られなくなっていたようです。飾らなくなった五月人形は、単に処分するのではなく「これまで厄を除けてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えられる「供養」をするのがおすすめです。五月人形と共にお子さんの成長を見守り、無事自立したら丁寧に供養してあげましょう。

\ 供養や処分の前に!寄付と言う選択肢。 /


この記事の監修者
代表取締役 原 英洋

1963年東京生まれ。祖父:原米洲(人間国宝)、母:原孝洲(女流人形師)。慶応義塾大学経済学部卒業後、大手出版社・集英社に入社。1987年父親の急逝により、家業である人形専門店に入社。1988年専務取締役就任。2008年に独立して株式会社ふらここを創業。女性活躍推進活動に注力し、2015年に経済産業省『ダイバーシティ経営企業100選』の認定を受ける。
スタッフ全員に光をあてたチーム体制を大切にし、人形業界全体の再興を見据え、「お客様に望まれる商品が多く作られるようになれば、業界も元気が出てくる。その先駆けになるものづくりを進める」ことをモットーとし、日本の美しい文化を次世代に伝えていくことをミッションとする。

代表取締役 原 英洋